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「つまんねーから使わない」への違和感から始める

最近、X(旧Twitter)やnoteで「AIが書いた文章って、なんか気持ち悪い」「読んでいてつまらない」という話題が盛り上がっていました。
発端となったのは、あるライターさんの「わたしが執筆にAIを使わないのは、つまんねーからである」という率直な投稿。これに多くの人が共感し、「確かにAIの文章って、視覚的な記号がやたら多かったり、リズムが単調だったりするよね」と、いわゆる“AIっぽさ”を分析する記事もたくさんシェアされました。
私自身、普段は医療に関する記事を書くライターとして活動しています。この一連の「AI文章=悪」のような空気を眺めながら、少しだけ違和感を覚えていました。
それ、文章の問題というより“読後感の好み”では?

AIが書いた文章を読むと、たしかに「整いすぎている」と感じることがあります。教科書のように優等生な言葉が並んでいて、引っかかりがない。だから、人の心にズバッと刺さるような強烈な個性や面白さには欠けるかもしれません。
でも、それって「間違った文章」なのでしょうか。
私たちが文章を読む目的は、いつでも「感動したい」「ワクワクしたい」わけではありません。ただ純粋に「事実を知りたい」「問題を解決したい」という時もあります。AIの文章がつまらないと感じるのは、その文章の品質が低いからではなく、読み手が求めている「人間らしさ」や「体温」といった期待値とズレているからだと思うのです。
「AIっぽさ=罪」になった瞬間、表現が痩せる
「AIっぽい文章表現」のリストが出回ると、ライターや編集者は「この記事、AIっぽく見えないかな?」と必要以上に怖がるようになります。
もともと論理的で端的な文章を書くのが得意だった人が、AIだと疑われるのを避けるために、わざと無駄な雑談を入れたり、無理やり感情的な言葉を足したりする。これでは、本末転倒です。
AIがよく使うからといって、その表現自体に罪はありません。「人間らしいかどうか」だけで文章を採点してしまうと、本当に必要な情報が読者に届きにくくなってしまう気がするのです。
AIはノイズじゃなく、新しい“語り口”だと思っている

私は普段の仕事で、AIをかなり積極的に活用しています。もちろん丸投げはしませんが、情報のリサーチや構成の壁打ち相手として欠かせない存在です。
医療ライターの視点から見ると、AIのあの“無機質さ”は、決して排除すべきノイズではありません。むしろ、これまでにない新しい「語り口」や「文体」として、とても優秀だと感じています。
均一さは欠点じゃない。医療では“安全運転”になる

医療や健康に関わる記事では、個人の強すぎる感情や偏った思い込みは、時に命に関わる危険をはらんでいます。
「このサプリを飲めば絶対に痩せます!」「私はこの治療法でガンが治りました!」といった熱狂的な文章は、読者を惹きつける力は強いですが、医学的な根拠がなければただの暴力です。
その点、AIの生成する文章は非常にフラットです。感情に流されず、事実を淡々と並べる。この「均一で面白みがない」という特徴は、医療情報を扱う上では、誰も傷つけないための立派な“安全運転”になります。
感情を削るんじゃなく、誤解を削ってくれる

AIに文章を整理させると、良くも悪くも「エモい」表現が削ぎ落とされます。でもそれは、裏を返せば「読者に誤解を与えないための処理」でもあります。
複雑な病気のメカニズムや、薬の副作用について説明する時、余計な比喩や感情的な煽りはいりません。AIの冷たいとさえ言われる文体は、「事実だけを正確に手渡す」という目的においては、非常に理にかなった表現方法なのです。
「人間の体温」って、どこに宿る?
反AI派の人たちがよく口にする「人間の書いた文章には熱量がある」「体温を感じる」という言葉。これには私も大賛成です。
でも、その「体温」や「熱量」の正体について、私たちは少し勘違いをしているかもしれません。
熱量は“勢い”じゃない。“責任”の形をしている

熱量のある文章というと、つい「情熱的な言葉がたくさん並んでいる」「筆者の怒りや喜びが爆発している」ようなものを想像しがちです。
ですが、私が思う本当の熱量は、「勢い」ではありません。画面の向こうにいる読者の不安を想像し、どうすれば少しでも安心してもらえるか、どうすれば一番正確に伝わるかを徹底的に考え抜くこと。その「責任感」の積み重ねこそが、文章に宿る体温の正体です。
派手な言葉を使わなくても、読者を思いやる誠実さがあれば、その文章は十分に温かいはずです。
体験談の温度は武器にも毒にもなる(医療だと特に)
SNSやブログでは、個人の生々しい体験談がよく読まれます。そこには間違いなく圧倒的な「熱」があります。
しかし、医療広告のガイドラインなどでは、個人の体験談を安易に掲載することは厳しく制限されています。なぜなら、ある人にとって効果があった方法が、別の人にも効くとは限らないからです。一人の強い「熱」が、藁にもすがる思いで情報を探している別の患者さんにとって、判断を狂わせる「毒」になってしまう。
医療情報を扱うとき、私たちは「熱さ」の扱いに誰よりも慎重にならなければいけません。
AI文章が“臭くなる”のは、たぶんここで詰む

とはいえ、そのまま出力されたAIの文章が「なんか胡散臭いな」と感じられてしまうのには、明確な理由があります。人間が書いたかAIが書いたかを100%見破るツールはまだ存在しないと開発元(OpenAIなど)も認めていますが、それでも人間が「違和感」を覚えるポイントは確実に存在します。
抽象語がふわっと浮くと、読者の手が止まる
AIが書いた文章で一番多いのが、「重要です」「有効な手段と言えます」「安心感をもたらします」といった、ふんわりした抽象的な言葉の連発です。
これらは、どんな文脈にも当てはまる便利な言葉ですが、読者からすると「で、具体的にどうすればいいの?」と突き放された気分になります。抽象語ばかりで構成された文章は、実体がなく、読んでいて脳が滑っていくような感覚に陥ります。
いいこと言ってる風の結論が、いちばん信用を落とす
AIは、文章を綺麗にまとめるのが大好きです。「健康な生活を送るためには、日々の意識が大切です」といった、誰も反対しないけれど、誰もハッとしない、無難すぎる結論。
こうした「いいこと言ってる風」の締めくくりが続くと、読者は「この記事、結局何も新しいことを言ってないな」と見透かし、一気に信用を失ってしまいます。
「誰が言ったか」が消えると、医療は一気に危ない
そして医療記事において最も致命的なのが、情報の「主語」が消えてしまうことです。
「〜という意見もあります」「〜とされています」とAIがもっともらしく書いてきても、「それは厚生労働省のデータなのか?」「学会のガイドラインに載っているのか?」「ただのネットの噂なのか?」がわからなければ、絶対に世に出してはいけません。
情報源(一次情報)の確認をサボったAI文章は、ただの「それっぽいフィクション」になってしまいます。
AIを尊重するって、無編集にすることじゃない
私はAIのフラットな文体を尊重していますが、それは「AIが出力したテキストを、そのままコピペして公開する」という意味ではありません。
“共同制作者”として扱う:まず雑に出して、責任は人が持つ

私はAIを、優秀だけど少しピントがズレている「共同制作者」だと考えています。
膨大な資料を読み込ませて整理してもらったり、構成のアイデアを何パターンも出してもらったりする。そこまではAIの仕事です。でも、最終的にどの言葉を選び、どの情報を削るのか。万が一、間違った情報が混ざっていた時に誰が謝るのか。その責任を負うのは、人間である私の仕事です。
仕上げは「文章を上手くする」より「誤解を減らす」
AIの文章を編集するとき、私は「もっとエモくしよう」とか「自分らしい表現を足そう」とはあまり考えません。
それよりも、「この表現で、読んだ人が不安にならないか?」「専門用語が難しすぎて、勘違いを生んでいないか?」と、ひたすら誤解の種を潰していく作業に時間を使います。文章を派手に飾るのではなく、安全な道に整地していくイメージです。
使い手しだいでAIは“冷たい”から“頼れる”へ変わる
AIの文章は冷たいと言われますが、人間の少しの工夫で、読者に寄り添う「頼れる文章」に生まれ変わります。私が医療記事を作る際に実践している、具体的な手順を紹介します。
AI出力を医療記事にする3ステップ

主語と責任をはっきりさせる
AIが「〜が効果的です」と書いてきたら、「『〇〇学会のガイドライン』によると、〜が推奨されています」と、誰の言葉なのかを必ず明記します。
断定を避けつつ、弱気にさせない
医療において「絶対」はありません。しかし「〜かもしれません」ばかりでは不安になります。「〜という報告があります」「一般的には〜とされています」と、事実に基づいた誠実な言い回しに調整します。
抽象的な言葉を「読者の行動」に変換する
「適切な運動が重要です」というAIの言葉を、「息が少し弾むくらいの早歩きを、週に2回取り入れてみましょう」と、読者が明日からすぐ実践できる具体的なアクションに書き換えます。
仕上げの最後に入れる「人間の一文」はここ

全体を整えた後、記事の「一番最初(導入部分)」にだけ、自分自身の言葉を入れるようにします。
「最近、こういうニュースを見て不安に思った方もいるかもしれません」「私も昔、同じ症状で悩んだ時期がありました」といった、ちょっとした迷いや個人的な視点。
この数十文字の「人間の痕跡」が最初の段落にあるだけで、その後に続く事実ベースの硬い文章も、読者は安心して受け入れてくれるようになります。
結論:AIの文体も尊重する。だからこそ、私は編集する

「AIの文章はつまらないから読まない」「いや、効率的だから全部AIに書かせよう」。そんな極端な二元論で争うのは、もう終わりにしませんか。
「人間らしさ」で殴らない。目的に合う言葉を選ぶ
手書きの手紙には、手書きの良さがあります。でも、役所の手続き書類が個性の強い手書き文字で書かれていたら困りますよね。
文章も同じです。心が震えるようなエッセイが読みたい時は人間の熱量を求めればいいし、フラットで正確な医療情報が知りたい時は、AIの無駄のない文体が役に立ちます。「人間が書いた文章こそが至高だ」と、何にでも人間らしさを押し付けるのは少し窮屈です。
読者に届いた時点で、文章は“共同作品”になる
AIの能力は、これからもどんどん進化していくでしょう。でも、だからといって私たちライターの仕事がなくなるわけではありません。
AIが事実を整理し、人間がそこから誤解を削り落とし、読者への思いやりを少しだけ添える。そうやってお互いの得意なことを掛け合わせて作られた文章は、読者のもとに届いた時、きっと誰かの不安を和らげ、背中を押す力になるはずです。
私はこれからも、AIという新しい才能を尊重しながら、自分の名前と責任で、記事を編集し続けていきたいと思っています。

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